萩原製作所の生い立ち
萩原製作所の生い立ち
「萩原製作所ってどんな会社?」
そのことにお答えするために、当社の生い立ちをご紹介致します。
まだ終戦の傷痕が残る昭和26年、
萩原製作所は、精密板金加工工場として、祖父(初代代表 萩原準一)1人から始まりました。
工場といっても自宅の一部を改修して建てたもので、十分なスペースはなく、
住込みの社員と一緒に川の字になって寝ていたと当時のことを聞いたことを覚えています。
精密さを必要とするステンレス製の小さな電気部品やキュービクルパネルなどの製品を製造していました。
昭和40年代に入ると、今までほとんど精密加工の分野でしか使われていなかったステンレス材が、国内生産技術の近代化・合理化によって建築分野で多く使われるようになりました。
父(2代目代表 萩原 研一)は、今まで精密板金加工で扱ってきたステンレス加工のノウハウを強みに、高度経済成長時に需要の伸びが著しく大きい建築業界へと進出しました。
ステンレス加工はできても、建築分野の専門用語、他建材との取合い、金物の納まりなど分からないことが山のようにありました。
「新規参入したので、分からない」などとはお客様には言えないため、先方と打合せしたことを一語一句メモし、親しくさせていただいていた工務店の社長様に毎晩遅くまでゼロから教えて頂いていたそうです。
昭和54年には、アルミ製オープン笠木「アルウィトラ」を日本で初めて販売した㈱エービーシー商会と販売代理店契約を結び、製作金物と既製品金物、建築分野での金属工事を全て請負えるようになりました。
製作金物、建築金物の施工までを請け負うようになり、当社の品質に対する考え方は大きく変わりました。
今までは、お客様から頂いた単品加工図の寸法通り、許容誤差の範囲内で製品を管理し出荷するまでが品質であると考えておりました。
製作金物、建築金物がどのように施工されるか、取りつくか、使われるかまでは分かりませんでしたし、気にもしませんでした。
それが、現場で製品を施工することを経験すると、
「こうしたほうが、精度がでる施工がしやすい」
「この製品のブラケットのピッチは、よりきれいに見せれるためにはもう少し細かいほうがいいか」
「ルーズ穴のルーズ方向は逆だな、穴径はもっと大きい方がいいかな、、、」
という改善のアイデアが山のようにでるようになりました。
当社の製作はより精度よく施工する、よりきれいに見せることができることまで考えるようになりました。
製作金物、建築金物の製作と施工まで請け負い、経験するとこで、製品がある程度容易に精度よく取り付けられる、お客様・ご使用される方とって使いやすい仕組みであることまでが、その製品の持つ品質であると考えるようになりました。
工場で加工のみをしているときには気づけなかったことです。
この考えが現在の当社のひらめき・提案力につながっています。
そして、わたくしが4代目代表になりまして13年になります。
現在は、あらゆる種類の金属加工・金属工事に携わって培ってきた
①緻密さ・精密さと
②重厚長大を扱える
ハイブリットな感性で、建築業界に限らずメーカー様製品のOEM製造を中心としたステンレス加工・金属加工のご依頼を頂いております。
OEM製造は、あらゆる種類のステンレス加工、金属加工、施工のノウハウを必要とします。
1つの製品をつくるのに、何十個もの部品点数から組立て、仕上げ、安定した品質の製品を提供させていただいております。
現在は、OEM製造受注形態のその先の、メーカー様から材料をご支給いただき、当社で加工する「コラボ」という受注の形態を増やしております。メーカー様との末永い共存、共栄を目指しております。
68年の年月で培った財産は、社員です。
社員が技術・ひらめき・提案力を習得し、次の社員へと伝承する。
その積み重ねが、今日の萩原製作所の技術と信頼です。
これからも、さらなる高みを目指して参りますので、どうぞよろしくお願い致します。